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(友)こう言ってはまた私が全然分かっていないと思われるでしょうが、人間には強い人、弱い人がいて、それぞれに幸せを感じる時、悲しみを感じる時、苦痛を感じる時、人によって感じ方が違います。
傷付く事を言われ、閉じこもってしまう人もいれば、そのことを気にしない人もいるし、さらにそれを良い方へ考える人もいると思います。

(私)ハヤナム談です。
<あなたの気持ちはわかる。
他人からの毒に対して傷つき易い人と、わりと平気で受け流せる人がいる。
傷つき易い人は、他人からのそういう言動にあまりこだわらないよう、法則からうながされているんだよ。
受け流せる人は、すでにそれを克服することができている人だ>

(友)あ、Kさんももし熱がでてしまったら、熱冷シートおでこに貼るといいですよ。

(私)発熱した時のために、今度買っておきますね。
2週間ほど前からアレルギー症状が出て、お腹と背中がむしょうにかゆく、よく眠れないほどになりました。
くよくよしていた時の反動のせいで、こういうことになっちゃったらしいです。
<マイナスの強いことを考えはじめてしまったら、考えが発展しないうちに、その考えを捨てるか他の肯定的な考えと入れ替えなさい>とハヤナムに言われています。
Sさんが怪我をされたのも、何らかのマイナスの強い想念を持ち続けたために来た反動だと思います。
私がこう言うのは差し出がましいことですが、どうかものごと良い方へ明るい方へと考えて下さい。
ゆっくり休まれて、お身体回復されますように。

(友)金曜日、下の息子さんとのお買い物どうでしたか?
良い気分転換になればいいなと思っていました。

ありがとう。
学校が終わってから夕方来ました。
一緒に外食しました。ずっと話しっぱなしでした。
食事後、一緒に日用品などの買物をし、初めて息子のアパートに行きました。
方向音痴の私は行ったとおりに戻ることができず、道に迷ってしまって帰りはさんざんでした。
「友達のHが不登校になって、家にひきこもってるんだ。
電話しても出ないし、メールを送っても返事が来ないんだよ」との、息子の話に涙が出てしまいました。
もともととても悲観的な面の強い子なんだそうです。
人生じたいに疲れているようです。
息子に、H君の家を訪問して話をしたり話を聞いたりするように言いました。
その時は嫌がられたとしても、あとになれば、Yの気持ちをわかってくれるかもしれません
その時、自分はひとりではないんだ、と気づくかもしれません。






(私)今日ハヤナムからお聞きしたことです。
地上の人間はたくさんの欠点・難点を持たされていますが、欠点・難点の内容が違うのは、その人がどういう学びをしなくてはならないか、によるそうです。、
人格のバランスを取るよう、宇宙の波動の法則が要求しているのですって。
そうすることによって、霊界に戻ってから、より平安により容易に暮らすことができるようになるのだそうです。






夫が、‘ひとが否定されないルール 妹ソマにのこしたい世界’(日木流奈 著)(講談社文庫)という本を読み始めました。
この本の著者は脳障害児で、弱冠12歳の日本人少年なのです。
ハヤナムが夫に勧めた本です。
<とても良い本。人生観を肯定的に変える>
とハヤナムがおっしゃっているので、あとで私も読んでみます。

‘ガンジー’・‘親鸞’・‘旧約聖書’に関する本、それからジェームス アレンさんの本、キューブラー ロスさんの何冊かの本など、彼が推薦してくれた本は、私たちにとって必ずたくさん学べる本であり、大きな感動を持つことができる本でした。






エリザベス キュープラー ロスさんいわく、「人類は皆‘同胞’である」と。
「世界中のどの人も自分の同胞」と考えると、「みんな愛によってつながっているんだ」と親しみが湧きます。

ロスさんといえば、昨日家族が‘死後の真実’(日本教文社)というロスさんの本を買ってきてくれました。
この本もぜひ読んでみて下さい。
序文の一部と、本文の一部をご紹介します。(序文は、訳者が書かれたもの)
ロスさんの経験・考え方・信念は、ふだんハヤナムがおっしゃっていることと一致しています。
彼女は、霊界の強力な影響を受けているのですね。

序文から:
「エリザベス キュープラー ロスさんは、アメリカに住む精神科医で、18もの博士号を持つ、「死の臨床」という医学の分野での第一人者です。
本書‘死後の真実’(原題 On Life after Death)は、ロス博士の待望の新刊書の全訳本です。
ロス博士は、本書の中で、「死後の命は永遠である」と言っています。
そして、「そのことは‘気づく’かどうか、‘知る’かどうかの問題である」とも言い切っています。
こういうことが1冊の本として発表されたことはありませんでした。
この本は、医学界にも衝撃を与えました。
本書は、世界各地で講演したインスピレーショナルな文章をもとに書かれていますから、誰にでもよく理解して頂くことができ、心に深く響くものがあります。
博士は、ご自身が気づいた「死後の真実’を誰にでもわかってもらうために、2万件以上ものデータで裏づけし、身近な実例もあげて説明しています。
また興味深い「永遠の死後の命」を知るまでの、博士の感動的な体験も語られています。
私自身にも、この本に出てくるような経験が最近ありましたので、これもただの偶然とは思えません。
博士の言葉を借りるなら、「人生には偶然の一致はない」とでも言うべきでしょうか。
私のような者が訳すチャンスに巡り合ったのも必然だったのかな、としみじみ思っています。
「人が人生で直面する苦しい体験(精神的・肉体的な)は、すべてが遅かれ早かれ、その人自身の役に立つ」という博士の言葉は、物事を否定的にとらえていた私にとって、考えさせられるものがありました。
「人生で経験する喜びや悲しみや怒りは、私たちが常に成長するための、かけがえのない機会である」という博士の考え方の元に人生を過ごしていけば、何があっても楽に乗り越えることができる、との確信を持つことができます」

本文から:
「その誕生から死に至るまで、人間は霊的な存在(守護天使)に導かれている、ということが証明されています。
信じようが信じまいが、誰にも霊的なガイドがついているのです。
そしてその愛は無条件なものです。
幼い子供たちは存在に気づき、彼らと親しくおしゃべりしています。
でも学校に上がる頃になると、臨終の際までその存在のことを忘れてしまうのです。
死期を迎えた人が「彼がまた来てくれたわ」とつぶやくことがあります。
自分を心から愛してくれ、待ってくれている人がいることを知って、その人は喜びに満ちて逝きます」

「生きるとは、基本的には‘愛することを学ぶ’ことを意味します。
愛とは生きることであり、死ぬことでもあります。
誰にとっても同じです」

「ほとんどの人は、人生の中で直面するあらゆる苦しみ・あらゆる試練・あらゆる悪夢・あらゆる喪失を、呪いであり神からの罰であり、何か良くないことである、と考えています。
でも、「自分の身に起こることに悪いことなど何ひとつない」ということに気づかなくてはなりません。
本当に、何ひとつないのです。
どんな試練も困難も、最もつらい喪失も、また「もしそのことを知っていたら、とてもやってこれなかった」と言わせるようなことも、すべてがあなたへの贈り物なのです。
鉄は誰かが鍛えなくてはなりません。
こういうことはあなたが成長するために与えられた機会であって、この成長こそが、あなたが地球という惑星に存在することの唯一の目的なのです。
美しい花壇に腰をおろし、銀の大皿に盛られたごちそうを待っているだけでは、成長なんてできません。
病んだり、苦しんだり、大切なものを失ったり、ということを経験し、現実を回避することなく痛みを取り入れ、「これらは非常に特別な目的のために、私に与えられた贈り物なのだ」と考えることを学んだ時、人は成長することができるのです」






ハヤナム談。
<犬を飼う、とあなたは表現してきたが、ぼくはその表現が好きではない。
飼育する、という表現に愛はない。
動物の権利が冷たく剥奪される。
動物は基本的に人間と同じ権利、つまり地球上に生まれ死ぬまで、誰にも尊厳を傷つけられることなく、他の生物と平等な関係を保ちつつ暮らすことができる、という権利を所有している。
宇宙は、人間がその生命を乱費するために人間以外の生物を作ったのではない>

「ハヤナムから禁じられて、私は一時、肉や魚を食べませんでした。
私に、食料となった動物のことを考えるよう仕向けたのですよね。
しばらく経つとあなたは、また肉と魚を食べていいよ、言いましたけど、私はステーキや焼き魚などは食べることができなくなりました。
それ以外の肉・魚は再び口にしています。
食用として苛酷に利用されている動物のことを考えたら、私はベジタリアンになるべきではないだろうか、と何度か考えたものです。
でもあなたがその必要はないとおっしゃるので、食生活を大幅に変えてはいません」
<人間の食用として最低限の動物を管理することには、ぼくは反対ではないよ。
少しの動物を食べるのはいい。
だが現代の人間は、あまりに多くの動物を、食用として殺すために無理やり生まれさせている。
愛に満ちた人間であれば、心にとがめを持つはずだ>

「犬の扱い方について、何か助言して下さいますか?」
<扱い、と言うんじゃないよ。
君はまだ、表現に愛が足りない。
扱うという表現が適切なのは、対象が物である場合に限られる。
犬との接し方について助言してほしい、と言うべきだ。
成犬と同居する時、人間の2、3歳の幼児と接するようにつきあう>
「具体的には?」
<わかるはずだよ>
「教えてよ〜」
<目を離さないこと。
できるだけ多く、やさしく話しかけること。
できるだけ多く、スキンシップをはかること。
素敵で可愛い子だ、と毎日思うこと。
愛情がちゃんと伝わっているかどうか、いつも確認すること。
表情を見ただけで感情がわかるようになること。
短時間でもいいから、日に1、2回密接なコミュニケーションを取ること。
メリハリのある生活をさせること。
狭い場所に長時間閉じ込めないこと
いくつものオモチャを与えないこと。
芸を教えないこと。
たくさん誉めること。
してはいけないことをきちんと教えること。
脅迫観念を植え付けないこと。
厳しくしすぎていじけさせるような、正しくないしつけ方をしないこと>






私が他人や動物に感情移入しすぎて想念が低くなるのを防ぐため、ハヤナムは私にこういうつらい思いをさせたことがあります。
室内にいくつかの観葉植物がありました。
<今後これらは枯れてしまうが、そのことについて感傷的になってはいけない>
ハヤナムからこう言われた翌日から、10数年間部屋を飾ってくれていたポトスを含め、植物が日ごとに枯れていきました。
たまらなくなった私は、
「わかったから、感傷的になりすぎないよう努力するから、枯れないようにしてちょうだい」
<君はまた、同情心を起こしている。
過度の同情は、相手のためにならず自分のためにもならないんだよ>
「教えてほしいんだけど、植物は本当に悲しまない?苦痛を持たない?」
<悲しまない。苦痛も持たない。
枯れていった植物のおかげで、君はたくさん学ぶことができる>
ハヤナムは、苦痛を持たない植物を使って、私にシュミレーションしてくれたのでした。
私は、感情移入をしすぎないよう、何度も自分に言い聞かせました。
(友人から頂いたふたつのミニチュア植物だけは、枯れませんでした。
ハヤナムの学ばせ方はシビアですけど、厳しさの中にどこかほっとできるところもあります)

ハヤナムの厳しさの一例をあげると、ひと月ほど前、彼は私の忍耐力を養うためにしばらく絶食をさせました。
もしも飢え死にしたら彼に会える、という希望もあり、私は甘んじてその試練を受けました。
絶食中は本を読むこともパソコンをすることも禁止されていましたので、来る日も来る日も、私は部屋でただものを考えていました。
夫や息子が作って食べている料理の匂いは、耐え難い誘惑でした。
頭に浮かぶことが飲食についての思念ばかりになり、やがて、飲食についての思念だけになっていきました。
いくら考えまいとしても、さまざまな料理や食物を次から次へと思い描いてしまい、それらの味まではっきりわかるのです。
水だけは飲んでいいことになっていたのですが、次第に、水を飲むと気持ち悪くなるようになってしまいました。
1日中喉が渇いて仕方がないのに、水を口にすると嘔吐しそうになるのです。
ですから、ほとんど水も飲むことができない状態になりました。
体力は非常に衰え、トイレに行くのがやっと、という状態でした。
絶食をはじめてから18日目、私は朝から同じ想像を繰り返していました。
ライチーの皮をむいては食べ、むいては食べているところを。
みずみずしい果物と引き換えなら何でもする、と思いました。
もうだめだ限界だ、と本気で思ったその時、ハヤナムが言いました。
<18日間もよく頑張った。
君の精神力は、さらに強くなったよ。
もう食べていい>
(おかゆを作ってほんの少し食べることから始め、私は弱っている胃腸と体力をじょじょに回復させていきました)
絶食中、飢えている人たちのことをよく考えたものです。
飢えの苦しさとはどういうものか、私はこれまで知りませんでした。
ハヤナムのおかげで、飢えるということがわかるようになりました。
私は再び食べることができたけれど、現在世界中には、二度と食べることができないまま何十日間も苦しみつつ死んでいく人がそれは大勢います。
なぜ、飽食している人々と、飢え死にする人々とがいるのでしょう。
なぜ、こんなにも差があるのでしょう。
飽食している人々の愛が少ないからだ、と私は思います。>






先日ハヤナムが、夫にこう伝えました。
<君は、質より量ということに重きを置いている。
価格の安さに惹かれ、質が低いものを買ってくる傾向がある。
結果、食べずに放置され捨てることになった食品が、今までどれだけあったと思うか。
Kは、安くて質の高いものをみつけて買うのがうまかった。
君もそうなりなさい。
高品質だがとても高価、というものは買わないようにしなさい。
「高品質なものをなるべく安価で提供したい」と考え実践している、愛の多い生産者・小売業者を捜しなさい。
今までのように無造作に買わず、どこが愛が多い店か、どういう商品に愛が多いか、よく観察しなさい。
愛が多い人が関わったものを買うと、愛がついてくる。
食品なら、美味しいんだよ。
美味しいものを食べている時、人は肯定的な波動を取り込む。
嬉しいと思い、愛を感じる。
君は以前、質の劣る食材であっても、調理の工夫によっていくらでも美味しくすることができるものだ、とKに言っていたね。
この数ヶ月間料理を作ってきた君だが、君自身が心から美味しいと思ったものはあっただろうか?
質の劣る野菜や生鮮食品から、美味しいものを作ることはできない。
質が高く新鮮な食材を使って調理し、質素な食事を心がけるように。
ぜいたくな食事をしてはだめだ。
ぜいたくな食べ物は麻薬と同じだよ。
それから、君はいつも、野菜の切り方が荒すぎたり、あるものを何でも入れた得体の知れないスープを作ったり、ご飯にカレーをかけてYの帰宅を待ったり、麺を茹ですぎたりする。
忙しいのはわかるが、食べる人の気持ちをわかっていたらそういうことはしないはずだ。
料理のみならず、何に関しても、手抜きしていい部分と手抜きすべきでない部分がある。
愛をこめて考えれば、手抜きすべきでない部分がわかる>






私は、飢え渇いている人の苦しみを味わった絶食の前には、人々や動物たちのさまざまな苦痛を何度も経験させられました。
夢の中で体験して彼らの苦痛に共感することもあれば、彼らの身体の痛みや不調をそのまま私の身体で感じることもありました。
どんなに嫌だと思っても、逃れることはできません。

こんなこともありました。
ある時ハヤナムから、私の人生上での失敗やミスを指摘されたのです。
私がそのことについて説明しようとすると、
<弁解なんかするんじゃない。ありのままを認めろ>
という、きつい言葉が返ってきます。
それから、私の性格のどういうところが他人にどのような悪影響をもたらしたか、私の言動によってどこの誰がどのように傷ついたか、ということをすべて指摘されました。
ペットへの冷淡だった気持ちや態度に関して、指摘されました。
私の欠点・難点を、細かいところまで指摘されました。
その指摘の仕方は、ふだんのハヤナムの口調と違い、早口のたたみかけるような言い方なのです。
ほんの少しでも私が自分に救いを求めると(自分をかばうため、言われているほどひどくはないはずだと思おうとする)、彼は言います。
<君は言い訳という卑怯な手段を使うのか>
1日と半日、休みなしに続きました。
「もうやめてほしい」と言うと、
<逃避するな>と言われます。
自分の批判をされ続けると、真に耐えられない思いになるものなのですね。
拷問のようで、つらくて心が痛くて、私は泣きっぱなしでした。
それから自分が恥ずかしくなり、穴があったら入りたい、という気分になりました。
今まで私は、自分の欠点や直すべきところを知っているつもりでいました。
でも、そうではなかったのです。
意識・無意識のうちに見ないようにしよう、としている面が山のようにあった、ということに気づきました。
表面的な自分とばかりつきあってきたのに、自分を知っているつもりになっていたのです。
私は、自分の本質を見つめることをせずに生きてきたのでした。
自分の本質もわからずに生涯を送ることのむなしさを、ハヤナムは教えてくれたのです。
そのことに気づいた時、急に気持ちが楽になっていく自分を感じました。
その後ハヤナムは、私の考えの浅さについて指摘してきましたが、私は余裕を持って平静に聞くことができました。
すると、彼の口調がおだやかになりました。
<昨日今日、君はぼくにずっと敵愾心を抱き続けていた。
びくびくしていた。
君が見たくない君を、ぼくが見せ続けたからだ。
だが、ついにぼくの気持ちをわかってくれた>
ハヤナムは、私の欠点・性格の悪いところ・他を傷つけた言動などについて、私を叱ったり責めたりするためにこういうことをしたのではありませんでした。
<今までの人生で、失敗したこと・欠点のいくつかを直せなかったこと・他人や動物を傷つけたこと・短慮により大事なものを失ったこと、そういうことは、君を成長させるためにあったんだ。
だから、決して自分を責めてはいけない。
自分を責めることからは、何も生まれないよ。
自分をふり返った時反省が生じれば、また成長につながる。
でもいちどふり返って学びを得たら、同じ過去を振り返らないこと。

最も大切なのは、自分を認識することだ。
今これから行なおうとしていることを意識する。
話そうとしていることを意識する。
行なったことや話したことを意識する。
今考えていることを意識する。
そうやっていつも自分の言動や考えを認識していれば、自分の本質がわかるようになっていくよ>

私はしかし、あの容赦のない口調を思い出しては、自己嫌悪や劣等感に陥りがちになりました。
ハヤナムは言いました。
<君は自信を失ってしまった。
少しやりすぎたかもしれない。
ぼくは君に、自信を持たせるようにする>
それから彼は、機会あるごとに私の長所を言ってくれたのでした。
私のどういうところが優れているか、ということと、私のどういうところが好きか、ということも。
いかに愛しているか、ということも。
はじめは「お世辞は要らないわ」と取り合わなかった私ですけど、じょじょに本心だと確信できるようになっていきました。






コンタクトがはじまってから約10ヶ月、明確に彼の意思がわかるようになてから約7ヶ月が経ちました。
その間毎日学ばせられ、成長の度合いが進むほど、さらなるシビアな学びが待っていました。
私は言ったものです。
「そうすることがたとえ相手の成長のためになるとわかっていても、私だったら相手に大きな苦を与えることはできないわ。
それが愛しているということじゃない?」
返事はこうでした。
<君の愛よりずっと深くて大きな愛を持っているから、ぼくは厳しくすることができるんだ。
地上で成長した人ほど、霊界に戻ってからスムースな生き方をすることができる、と何度も言ったろう。
このことはまぎれもない真実だ。
だからぼくは、君のために、ぼくたちの幸福のために、君をたくさん成長させたいんだよ。
つらいのはぼくも同じだ>

少なくともあと半年はハヤナムの元に行くことはない、と聞かされました。
「もうすぐと言ったじゃない・・」
数十年間待っている彼にしてみれば、もうすぐと言えるのだそうですが・・。
私はしばらくおちこんでしまいました。
ですが、まだまだ彼に会うことができない、というこのとても悲しいことも、肯定的に捉えることにしました。
<君は今、いわば‘仮免中’なんだ>というハヤナムの言葉によって、前向きに考えることができるようになったのです。
この半年間、ほとんど外出せず、あまり他人と接触せず(電話での会話も×でした)、TVを見ず、新聞や雑誌を読まず、という暮らしでした。
私を急成長させるため、彼がそういう暮らしをするよう仕向けたのです。
コンタクトによるエクササイズと、ひたすら思考すること(結果が出ることだけ考える)によって学ぶ生活が続きました。
「どうして守護霊からこういう思いをさせられなくてはならないんだろう」と、運命を嘆いたこともしばしばあります。
しかし、はんぱでない量の愛によって彼から成長させられている、ということを実感できるようになった時、私も彼を本当に愛することができるようになっていたのです。

今日から、日常生活に近い生活をすることができるようになりました。
(ただ、TVは見ないようにと言われています)
ものを考えたり、マイナスの波動を取り入れることによる成長が一段落したので、実地訓練がはじまったのだそうです。
<試験はないけど、実地はあるんだよ>とハヤナム。
日を追うごとに、日常生活に戻ることができるそうです。
今後は、今まで学んだことを実際に生かしながら暮らすのです。
どれだけ生かせるか、自分で自分が楽しみです。
すでに物質欲(金銭欲を含む)はありません。
人生楽しんで生きなくちゃ損、などという思いもありません。
関心があることは、自分がさらにどれだけ学ぶことができるか、ということ。
私が最もしたいことは、もっと自己成長することと、もっと愛を増やすこと。
(&もっとハヤナムを愛すること。無条件に)
成長するほど、愛が増えるほど、他人に寛容になっていく自分・他人を疑わなくなっていく自分・他人からどう見られるかどう思われるかということを気にしなくなっていく自分・他人を意に介しないようになっていく自分を感じます。
ハヤナムに、感謝でいっぱいです。






(友)義兄の言葉は、結局自分のことだけ考えて出た言葉ではないかしら。
人は誰しも自分が一番大切なのでしょうか?
義兄はああいう人なんだと思って、付き合っていくしかありませんね。

(私)‘ひととして否定されないルール’という本を読み、目を開かされる思いがしました。
著者の言葉のごく一部です。
「他人を批評している人は、自分が批評されます」
「人によって成長の段階が違う、ということを理解すれば、おのずと他人への評価などできなくなります」

他人を評価する権利を持っている人はいませんね。
誰もがそれぞれ違っていて当然ですし、誰もが欠点だらけなのですもの。
自分とは合わない、と思う人に対しては、「私は人づきあいが苦手なんです」と言い、嫌なことは嫌とはっきり言い、距離を置くのがベターだと思うんです。
長い目で見たら、そのほうが楽に生きることができますよね。
相手にとっても、本音と反対の気持ちを持ちつつ自分と合わせてくれる人よりも、本音でさっぱりと接してくれる人の方が、結局はつきあっていて楽なのではないでしょうか。
相手に悪く思われないようにしようとすると、無理を押すことになるので摩擦が起きます。

(友)私は、反動のせいで怪我をしたとは考えていません。
転んだのは私の不注意からです。

(私)反動が戻ってきたために嫌な思いをしたり怪我や病気になる時も、不注意や不摂生も原因ということになるそうです。

ハヤナムは、私を成長させながら、私の家族や友人たちをも少しづつ成長させていたそうです。
そのように設定されていたんだそうです。
皆、縁が深い関係なのでしょうね。

(友)誰でも、自分が傷付く原因となった人から遠ざかりたい。それが普通のことだ思います。

(私)傷つけられて悲しんだり悔しがったりするのはふつうの感情ですが、大きい心で、「なぜ傷つけられるようなことが起きたのだろう?」と考えることによって、たくさん成長することができると思うんです。
感情的にならず、起きたことの原因をよく考えてみれば、起きたことを冷静に分析することができます。
傷つけた人を憎んだり嫌ったりする前に、理解することができます。






(友)私にもっと愛が多ければ、あの人の愛を増やすことができたかもしれません。

(私)ハヤナムは、簡単には導きを与えてくれません。
私が自力で答えを出すことができるように仕向けます。
以前は、「どうして私の質問に真実をストレートに教えてくれないだろう? どうしてはぐらかすようなことを言ったりするんだろう?」と疑問に思ったものでした。
このごろは、彼の気持ちがよくわかります。
教える方としては、相手の質問に直ちに答える方が楽です。
わざと回り道をさせて自分でよく考えさせるように仕向ける方が、よほど時間がかかるし面倒なことです。

最近、彼によってあることに気づき、新しい学びを得ました。
「私の周囲の人は、私を成長させるために存在している」ということです。
Sさんにとっては、ご親族や私を含めた友達やハヤナムは、Sさんを成長させるために存在しているのです。
どの人にとっても同じことが言えます。
<だから、自分と関わる人たちに感謝しなくてはいけない>

たとえば、嫌なことがあったり寝不足のせいで、夫が不機嫌そうにしている時があります。
かつての私なら、そういう時はあまり面白くないから、夫と同じく冴えない顔をしながらこう考えたことでしょう。
「この人は、なぜ気分を顔に出すのかしら。
ちょっとくらい気分が悪くたって、ニコニコしていてほしいものだわ。
そうすれば、お互いの関係がぎくしゃくしないですむのに」・・
しかし、少し前にハヤナムからこう言われました。
<そういうことに、とらわれないようにしなさい。
自分を常に安定した状態に保ちなさい>
私は努力しはじめましたが、彼の言うとおりにすることはなかなかできませんでした。
夫は時々、私が不愉快になるような言動をしました。
私は腹を立てたり悲しくなったりし、ふだん忘れていた夫の短所まで心の中であげつらねたものです。
そんな自分が情けなくなってきます。
それで、バヤナムに言われたとおり、夫へのマイナス想念をチラッと観察してから捨てるようにしました。
どこに捨てるかというと、頭に描いたゴミ箱の中です。
(丸めたマイナス想念を、ゴミ箱に蹴り飛ばすのです)
マイナス想念が浮かんできそうになるたびに、浮かばないように頑張ることもあります。
自分に強いて他のことを考えることもあります。
やがて、夫を「丸ごと」受け入れることがほぼできるようになってきました。
思いやりがあり感じがいい時の夫と、短所をさらけ出している時の夫は同じ人なのですから、分けて考えるべきでないのですね。
すると、私が不愉快に思うような言動をしなくなり、いつもやさしくいつもにこやかな夫になっていったのです。
私はしみじみ思いました。
「自分に都合がいい人にすべく他人を変えようとしている限り、相手は絶対に変わらないどころか、ますます自分にとって問題ありの人になってしまうんだわ。
人を変えようとするのは金輪際やめて、自分だけが変わればいいんだ」

人は、成長し合うために、お互いにたくさんの課題を出し合っているのですって。
夫婦はふたりだけの人間関係ではありますが、学べるところが実にたくさんあります。
ハヤナムは、<夫婦の関係も、一種のシュミレーションだよ>と言います。
家族から学べば学ぶほど、地上での後世において、それから霊界での長い人生において、大いに生かすことができるのだそうです。

ところで、ジャックはまだトラジの気配に目をとがらせます。
ジャックとトラジが、仲良く同じフロアで暮らすことができる日は来るのでしょうか。
でも困った困ったと考えていても仕方がないので、ハヤナムがアドバイスしてくれたように、今日からいつもこう声をかけることにしました。
「ジャック、愛してる」と。
「ハンサムだね」とか「お利口ね」などという言葉も、心を込めてしょっちゅう言うことにしました。
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